RONのDTM備忘録

DAW(メインはABILITY)の備忘録

サイレントマジョリティー(欅坂46)と15の夜(尾崎豊)

先日、関ジャムという番組(日曜夜11時tv asahi)でやっていたことのリマインド。

心に刺さる青春ソングということで特集をしていました。

20代に刺さった曲としてサイレントマジョリティーを紹介

50代に刺さった曲として15の夜を紹介

していました。

これはどちらも思春期に自由を求める歌として紹介をされていました。しかしその違いとして

 

15の夜を歌った尾崎豊は割と自由に曲を書き、一人で歌っているのに対し

サイレントマジョリティーは同じ服(制服?)を着てユニゾンで歌っている

 

個々にはわかっていたけれどもこうやって比較してみると世代の違いと曲のすごさが浮き彫りになるなあと思いました。尾崎豊の場合は学校が教員が大人の支配の象徴のような存在で「自由になりたい」と言いながら大人に反抗する、その代表だったのかなと。サイレントマジョリティーはそこからつながってある個人ではなく全員で抑圧を表現している、全員が来ている「制服」でそれをより「真実味」が生まれる。

実はこれらが時間軸でつながっていたと思ったらなんだかすごい話だなと思いました。

正直、自分一人では80年代の若者たちの歌というのは自由になりたいといいながら自由にやっている人たちという認識が私の中ではありました。それが鵜に落ちないこともあるんですが思いの丈をぶつけるという力強さは鬼気迫るものがある、とは思ってました。欅坂46のアイドルが支配からの解放を歌うというのはすごく迫力があるすごい曲と思ってました。しかしこれら別個のものの認識だったものが思春期というものを通じて同じものが流れているということが分かったのはすごい収穫だったなと思います。

 

「真実味」という言葉を使ってくれた、いしわたり淳治に感謝。